外断熱・壁構造のRCマンションになったわけ(4)
寒い⇒夏大好き⇒海⇒ボート⇒家 (プロフィール4)
寒がりやだったので自然に夏が好きで、子供の時から水は怖くありませんでしたから、只泳ぐだけではつまらなくなっ
て、自然に素潜りをやる様になっていましたから、自由に行動したいという欲望を満たすには、ボートを手に入れるしか
ありません。
社会人になって幾らも立たない安給料の身では、買う話はありませんから、勢い自作出来ないかとなります。
貧乏人の辛いところでもある代わりに、色んな事を覚えられます。
楽天的に、プロだって生れ付きプロがいるわけ無いと考えれば気楽なもので、それで飯を食おうと思わない限り自己責
任ですから。
当時のボート作りはまだまだ木造ですから、材木の知識がどうしても必要です。
船の雑誌には、オリンピックの前でもあり、ヨット全盛の時代ですから、木材の記事もあり、いろいろ参考になりました
が、船造りの記事は何処にも無かったのです。
とうとう新宿の丸善に行って洋書をも探しましたが、内容の無いものばかりでした。
困り果てて、第4回のボートショウに行って色んな角度から写真を撮り、寸法の割り出しに専念する毎日でした。
当時のボートショウは、神宮外苑の東京体育館で開催され、必ず土曜の午前中は皇太子(現今上天皇)出席のレセプ
ションが開かれ、午後からは一般公開されるのが恒例でした。
雑誌に載った、横山 晃さんのヨットデザインの話は少し後かも知れません。
当時の記事はもっぱら外洋ヨットレースの記事が多かった様です。 外洋ヨットの持ち主は限られていて、八丈島レー
スの記事は何時も出ていました。
そういえば、米マイアミ~ナッソウ間の外洋大型艇のレースもあり、優勝メーカーはコーストガードに船型が採用された
様です。
そして、日本舟艇協会というのがあって、FRPハル(船殻)の型を実験している記事が載る様になりました。
この記事の中にFRP単板の強度を試したものが載ったと記憶していますが、兎に角先ずは木造艇を考えました。
そして、パワボートの熱海レースが始まったのはずっと後です。

3.6mランナバウト・塗装前 ガラス以外は全て木造・外板は船舶用合板 スターンボードは欅板
ボート作りの話は、別の機会として、ここでは表題の理由が先です。
長年の間にかなりの知識を得ることになり、マンション建設に当たっては、外断熱と決めることになったのです。
写真は、バックのビニールハウス内で制作した、小型ランナバウトで、フロントガラスはヒルマン(日野自動車がライセンス生産したもの)のリアウィンドウです。
船外機は競艇のお下がりで、ヤマトというブランドでした。
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