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自分が住みたい家ってどんな家?

外断熱・壁構造のRCマンションになったわけ(5)

地震で家の下敷きからの生還 (プロフィール5)

 家、即ち人の住まいについてあれこれ考える様になったのには、子供の時からの経験が有ります。

太平洋戦争時に東京大空襲を見、その後の世田谷の空襲で、火の海を逃げた経験と、戦後の昭和23年の福井地震

で家の下敷きになって助けられたなどの経験は、常に自分が今居る場所は何処かと意識する週習慣が付いています。

 

 自分の家に居る時、旅行でホテルに居る時、地下街に居る時、海外に居る時、等々。

そこはどういう場所か考えます。 国内では何処へ行っても活断層だらけですが、地盤がどうかは気になります。

埋立地、河川の扇状地、山岳地でも、表層地すべりの起きそうな場所など、後は地名も大事です。

もっと言えば、数十階建てのホテルも避けたいところです。

 

 昔から、人が住んで居ない場所は、何か有るもので、水とか龍とかの文字が付いている地名は土石流や地すべりが

昔から有って危険な場所が多いと思っています。

 

 震災の経験から最初のP波も少し強く、次のS波までの時間が異常に短かったの記憶していて、震源から近かったわ

けですが、S波の伝達速度はP波の半分位ですから、体で覚えていれば、直下型かどうか判断出来そうです。

東日本大震災では、東京にS波が来るまでに異常に長く感じましたが、割合大きかったので、遠くで大地震だなと直ぐ

に思いましたが、キャスター付きの家具を抑えていました。

 

下敷きの経験

 昭和23年の福井地震で、建物の下敷きになった経験は未だ小学生でしたが、自然に建物への興味となったのです。

 この地震は、気象庁が震度7の震度階を新たに追加するきっかけになったと後で知りました。

家の中をうまく走れない程の凄い揺れで、大人達は走るどころか、外に居た人達も地面を転げ回ったと聞いています。

そして、潰れて下敷きになってからも、余震が頻繁に有り、最初は頭を縦にして見渡せたものが、だんだん天井が下

がって来て、顔を横にしないと居られない状態にまで、余震は繰り返し襲って来ます。

これ以上天井が下がって来たらどうしょう!  と真剣に考える様になりましたし、「助けて~」と叫ぶ声も真剣です。

 

 つぶれた建物の屋根を破って助け出された景色は、全く知らない景色、見渡す限りの瓦屋根で、道路ははっきりしな

い位です。

残っている2階屋は、1階がクッションになったか、2階だけが残っていて、1階との間で柱が折れています。

少し落着いてから良く見ると、全部が柱のホゾ穴の場所で折れています。

 

 そして、震災後しばらくして学校を見に行って、傾いた教室の中を見て驚いたのは、机と椅子がごちゃごちゃになって

教室の隅に天井にまで達する位に高く積み上がっているのです。

机の下に隠れていたらどうなったか、と思うとゾッとします。

 

 

焼け死ぬ断末魔の声

 その町は中央に川が流れていて、反対側の商店街は火災が同時多発して、体の一部が柱や梁の下敷きになっただ

けで、助ける事が出来ず、焼け死んだ人が大勢いて、「助けてくれっー」と叫ぶ声は川の反対側まで聞こえ、小さな町な

ので、どこそこのおかみさんの声だと直ぐ皆に判ったようです。

そうした声を聞いた大人の人達は、声が耳に付いて眠れなかったそうです。

一級か二級上の男の子は、震災後片足が無く、松葉杖で歩いていましたが、足が挟まって逃げられないのを、父親が

ノコギリで切って助けたそうです。

こうした悲惨な状況はあまり伝えられて居ない様です。

 

 

 

 

 

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